「STANDARD TRADE」にて

この数年、山手にご縁があります。先日、友人に誘われて、都内から横浜山手へとショールームを移転された「STANDARD TRADE」の渡邊氏とお話しする貴重な時間をいただきました。

元町・中華街駅、5番出口から山手迎賓館横の坂道を上がるとそのお店はあります。少し先には港の見える丘公園、オープンされたばかりの時にも伺いましたが、歩いても車でもアクセスしやすいいい場所です。

友人と渡邊氏の奥様がお友達で、10年ほど前にご自宅を訪れたこともあり、SNSや雑誌などでもご活躍の様子を拝見しておりました。直接、会話をしたのは初めてでした。
ご自宅へお伺いしたときも、今でこそミニマリストという言葉がありますが、すでにその域の御宅でした。隅々までその意識が行き渡り、器やちょっとした小物、裏庭に至るまで、記憶に最も残っている本当に心地よい家。今どきならばご自宅をショールームにされてもいいのではないか、と思うくらい。そして10年経過してお子様が成長過程の今でも、それは維持されていらっしゃるそうです。

インテリア業界を牽引されてきた渡邊さんとの会話は3時間、友人も久しぶりにお会いするとのことで止まりませんでした。。。思わず興味深く聞いてしまうのは、これまでの経歴。PFS(パシフィックファニチャーサービス)にいらしたこともあるとか。自社工場を備える家具屋を求めて、PFSから日新装備という会社を経て家具職人となられたそうです。
何も後ろ盾のない中、独自の審美眼を通して生み出してきたデザインとオリジナリティが次から次へと顧客を増やしてきたのだとわかりました。家具の製作・修復から店舗デザイン・設計、住宅リノベーション、と手掛けられています。

私の勝手な日本のインテリア変遷は(視点によってその変遷があると思います)、1980年代の輸入雑貨ブーム(雑誌Oliveや雑貨カタログの全盛期)の後、バブル期にはイタリアモダンに憧れ、90年代にはインテリアがファッションの一部になっていき、かっこいい大人たちが日本にインテリアのある時代を築いていった。2000年代にはミッドセンチュリーやジャンク、スカンジナビアンが並立し始め、青山や目黒通りを中心にたくさんインテリアショップが増え、夜な夜なPARTYをハシゴしていた時代を超え、リーマンショックやファストファッションによって淘汰されてきて今に至る。笑。かなりざっくりですけども、そんな歴史の中なのではないかと思います。。それにしても、関わる大人たちがかっこよかったな〜〜、という思い出。

そんな中でも変わらずそのSTANDARDを貫き通していた渡邊氏。少し深い話もお聞きしましたが、これから紆余曲折が生まれようとも、その意思は変わらず、ずっと続いていかれるのだと思います。
全てにおいてタイミングのよかったこの時にこの時間を過ごせて、私にとって宝物となりました。実はこのところ生じていた悩みを一掃してもらえたように感じます。積み重ねてきた経験はお金では買えないですし、これまでと同じ体感は今となってはできないことも多いもの。この先、もう少し突き抜けたい。。。それに邁進していいのだと確信できました。

suzukuriにも細やかながらも譲れないSTANDARDがあります。そして軸となる部分にピントを合わせていきたい。そのあたり、もう少し伸ばしていきたいと思い至る日でした。

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